北方領土、特に択捉島に生息していたラッコは一時期、絶滅寸前まで追い込まれた歴史をもっています。それは、最高級の毛皮を目当てに、明治初期にハンターたちが乱獲と密猟を行ったためで、ほぼ10年間でラッコは姿を消したといわれています。
1911年に日米英露4カ国による「ラッコ・オットセイ保護条約」を締結した後も、回復の兆しはなく、第二次大戦前の記録では、択捉島でも「極めて少ない状態で、昔日の面影は全くない」とされています。
戦後、密猟は厳しく取り締まられ、ラッコ繁殖地などを中心に沿岸1.5〜12マイルを「保護海面」に指定して漁業を禁じ、場所によっては立ち入りも禁じたことなどにより、生息数が急速に拡大し始めました。
いまでは、野生のラッコ約3,000頭が自由に泳ぐ姿が択捉島を中心に見られ、さらに頭数の増加で生息域も拡大し、北海道東部の沿岸でも目撃されるようになっています。 |